ようこそ! 鴻巣パンジーテニススポーツ少年団のブログへ

  埼玉県鴻巣市で活動する小学生のソフトテニスクラブです。ソフトテニスを通して子供たちの 健全な心と体を育てることを目的として活動しています。
 詳しくは鴻巣パンジーテニススポーツ少年団のホームページ(http://konosupansy.omegumi.com/)も参照して下さい。
 管理人は将来を担う子供たちの育成ために微力ながらも努力をしていきたいと考えております。
 

2013年5月1日水曜日

第12回全国小学生ソフトテニス大会 対戦の模様(その2)


皆様方、こんばんはぁ。
連日、お疲れ様でございます。

本日、51日はメーデーです。

メーデー(May Day、直訳すれば「5月の日」)は、世界各地で毎年51日に行われる祭典です。ヨーロッパでは夏の訪れを祝う日である一方、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日でもあります。「労働(者)の日」(Labour Day)とも言いますが、いくつかの国ではその国独自の「労働者の日」を定めているため、International Labour Day と言う必要があります。
 
 

「メーデー」とは本来五月祭を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきました。この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習でしたが、これが近代に入り現在の「メーデー」へと転化し、こんにちの「労働者の日」メーデーが誕生しました。

労働者の日としてのメーデーは、188651日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源です。 112時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第18時間は仕事のために、第28時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行なわれました。

1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、189051日にゼネラル・ストライキを行うことを決定しましたが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)と言われる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行されました。以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日として継続・発展してきました。

日本では、1905年(明治38年)メーデーの先駆けとなる平民社の主催で茶話会というかたちで開かれ、引き続き1906年に横浜曙会の吉田只次・村木源次郎・金子新太郎らがメーデーを記念し街頭演説、ロシア二月革命後の191757日に在京社会主義者約30人がメーデー記念の集いを開催しました。労働団体が挙行にいたるのは192052日日曜日に第1回のメーデー(主催:友愛会 司会者:鈴木文治)が上野公園(現在の東京都台東区)で行われ、およそ1万人の労働者が「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えました。翌年からは51日となり、開催地や参加人数も増えていきました。
 
 
しかし、1936年、二・二六事件発生により戒厳令が敷かれた後、同年319日付けで治安維持を目的とする内務省警保局通牒「集会及多種運動の取締方に関する件」(「多衆運動ハ従来慣行ニ依リ許容ジラレツツアルモノト雖モ右期間中ハ凡テ之ヲキンシスルコト、従テ愛国労働祭又ハメーデー等の計画アル向ニ対シテハ予メ之ヲ中止スル様諭旨スルコト」)が発せられ、324日にメーデー開催が禁止されました。第17回メーデーは中止されたのです。これに反対する無産政党や日本労働組合全国評議会(全評)の組合らは326日にメーデー禁止措置反対行動を起こし、内務省や警視庁へ抗議、427日に全評の山花秀雄が組合幹部個人の名義でメーデー実施を指令し、当日は小規模ながらも全国で様々な形の集会やデモが開催されました。指令を発した山花はメーデー終了まで愛宕署に検束拘置されました。この年から1945年まで日支事変激化などの理由で開催されることはなかった様です。 

太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦翌年の1946年、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年ぶりのメーデーが通算で17回大会として盛大に開かれました(別名「食糧メーデー」または「飯米獲得人民大会」)。 全国で100万人、東京の宮城前広場に50万人が集まりました。512日には「米よこせ」を叫ぶ市民が宮城内に入り、同19日には「食糧メーデー」が25万人を集めて行われ、民主人民政府の樹立が決議されました。

1951年の第22回大会では、サンフランシスコ講和条約締結を控えて反対運動の盛り上がりを恐れた政府とGHQは中央メーデーの皇居前広場の使用を禁止したため、総評は中央メーデーを中止し、一方で統一メーデー促進会が「全面講和をかちとれ」「再軍備に反対せよ」のスローガンを掲げて芝公園で実質的な中央メーデーを開催し、戦後初の分散メーデーとなりました。

日本の主権回復後に行われた1952年の第23回大会では、日本国との平和条約と日米安全保障条約(旧条約)への抗議も主張に含まれました。その際に皇居前広場へ向かおうとしたデモ隊の一部が警官隊と衝突し、流血の惨事となりました(血のメーデー事件)。 

米軍政下で琉球政府時代の沖縄でもメーデーは開催されていました。1951年に恩納村万座毛に300人が集まったのが沖縄で初のメーデーです。1952年には「即時本土復帰」「サンフランシスコ講和条約第3条撤廃」などを掲げた本格的なメーデーとなり、これをもって第1回沖縄メーデーと言います。1954年の場合、労働運動から反米運動への展開を恐れた米民政府はカール・マルクスの実際の誕生日は55日であるにもかかわらず、「51日はマルクスの誕生日であるため、非共産主義者はメーデーに参加しないように」という声明を出し、開催阻止に向けて圧力をかけました。
 
 
高度成長期には総評、同盟などの共催で統一メーデーが続けられ、1984年の第54回大会では特別決議としてメーデーの祝日化要求が採択されました。

「時短元年」と位置づけられた1985年の55回大会ではサブスローガンで「週40時間制」、前年の祝日化要求決議を引き継ぐ「太陽と緑の週」の法制化など、労働時間短縮(時短)の実現が掲げられました。そして新たに「スポーツ祭典」が併催されて「お祭りメーデー」と呼ばれる家族ぐるみの行事に発展したが、他方で労働運動としての意義の喪失に繋がると社会党や共産党、日本高等学校教職員組合(日高教)などいくつかの労組から反対や再検討を求める批判がなされました。この当時、管理人は某製薬会社の若手研究員、所謂、労働組合活動も積極的に行っており、他の組合員と共に、熊谷市内をデモ行進した記憶があります。今でこそ上級管理職となって、労働組合活動からは長い期間、離れておりますが、今の労働組合活動は以前に比べて随分と大人しくなった様に思えます。

 その後、労働組合の全国中央組織の再編による組織対立の激化で、1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなり、日本労働組合総連合会(連合)と非連合系の全国労働組合総連合(全労連)や全労協による分裂開催となりました。また、前後がゴールデンウィークで長期休暇を取る例が増え、労働組合活動が低調になってきて参加者数が減少したことを理由に、連合系メーデーは2001年以降429日や土曜日に行うようになり、一方で全労連や全労協のメーデーは51日開催を続けており、その分裂と対立の構図は解消されていないのが現状です。

2008年、連合は426日土曜日、東京の代々木公園で中央大会を開き、主催者発表で約457百人が参加しました。「暫定税率の復活による増税反対」「後期高齢者医療制度廃止」などののぼりが立ち並んでおりましたね。一方、平日の51日に同じ場所で開かれた全労連系中央大会は「貧困と戦争をなくせ!」を主テーマとし、主催者発表で約44千人が参加しました。
 


連合と全労連のメーデーは、どちらも1920年からの通算回数をカウントしており、2010年で第81回目を迎えたとしています。

さて、前回に引き続き折原諭(高野ジュニア)・大嶋理音ペアの第12回小学生ソフトテニス大会に於ける活躍ぶりを動画を使って紹介していきたいと思います。今日は4年生以下男子の部予選リーグの第2戦、奈良県桜井ガンバクラブの高瀬淳一郎・松井匠ペアとの対戦を見て頂きましょう。撮影は管理人がベンチ脇に三脚を置きました。それでは7ゲームマッチの試合をご覧になって頂きましょう。
 
 
ご覧のとおり4-2で折原諭・大嶋理音ペアが勝利致しました。試合展開は下記のとおりです。

 ☆第1ゲーム 4-1(サービス)
  ★第2ゲーム 2-4(レシーブ)
  ☆第3ゲーム 4-1(サービス)
  ☆第4ゲーム 4-0(レシーブ)
  ★第5ゲーム 2-4(サービス)
  ☆第6ゲーム 4-1(レシーブ)

1ゲームは楽勝のムードが漂い、その後の気持ちが燃え上がらずプレーに響きました。本来は短距離全力疾走モードで全ゲームに臨まなければいけないのですが・・・。2ゲームめ、そしてゲームカウント3-1となった第5ゲームめの折原・大嶋ペアは集中力に欠けていました。どのゲームも気持ちを尖らし全て全力の力を発揮しなければいけないのですが低学年の二人にはまだそれが出来ていません。管理人から見るとまだ甘さを感じます。ゲーム内容は反省すべき点が多い試合でした。しかしながら勝利は勝利として素直に喜びましょう。折原諭・大嶋理音ペアの快進撃はまだまだ続きます。
 

 

下記のバナーをプチッとして当ブログの順位を確認して頂ければ嬉しいです。皆様方にクリックして頂きますと当ブログのポイントが上がります。皆様方のご支援は管理人にとって大きな励みになりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ブログ人気ランキング(ソフトテニス)
にほんブログ村 テニスブログ ソフトテニスへ

0 件のコメント:

コメントを投稿